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     日本占領期年表

1945(昭和20)年

  1月       1日 東京逓信局、都内に初の「簡易型電話所」を設置する。       2日 国鉄吾妻(あがつま)線の「渋川〜長野間」が開通。       3日 米軍艦載機500機が、台湾および沖縄に来襲。          元旦の「初詣客は例年の四割減」が新聞各紙の見出しとなる。       4日 軍需省、プラチナ精製の功で3社を表彰。       5日 政府、所得税などの税率引き上げによる増税を発表。       6日 米艦隊、ルソン島リンガエン湾に侵入。       7日 大政翼賛会、小磯国昭首相に「強力な政治を」と要望する。       8日 大審院、日雇い労働者の闇賃金取締まりを指示。          仙台鉄道局、東京に向け木炭専用列車を編成。       9日 ルソン島リンガエン湾中央部に米艦隊800隻が集結し、ルソン島への上陸を開始。           持久戦の準備を進めていた山下奉文大将の指揮する第14方面軍約13万が迎撃。島内各所で戦闘となる。       10日 警視庁、各署に防空資材点検で戸口調査を指示する。       11日 岩手県大川目国民学校の生徒が空襲罹災(りさい)者宛に送った「煎り豆」1俵が東京に到着。       12日 回天特別攻撃隊、「第二次玄(げん)作戦」を決行。太平洋各所で停泊中の米艦船を攻撃する。       13日 東海地方に大地震が発生。(三河大地震)           死者1961人、全半壊1万7000戸におよぶ被害が発生したが、報道はされなかった。       14日 B29型長距離重爆撃機73機が名古屋を爆撃。これにより伊勢神宮も被弾する。       15日 外務省、在米抑留邦人1653名の氏名を発表。       16日 B29型長距離重爆撃機1機が、京都を初空襲する。死者41人。       17日 第四航空軍司令官富永恭次中将、独断で司令所をフィリピンから台湾へ移動する。          ソ連軍、ワルシャワを解放。       18日 大日本婦人会東京支部、3人以上の航空要員を育てた母親22人を表彰する。       19日 イタリア、対日同盟を破棄。       20日 大本営、「帝国陸海軍作戦計画大綱」を上奏し裁可を受ける。          「船員動員令」および「船舶待遇職員令」公布。       21日 小磯国昭首相、施政方針演説で「国体護持」を強調。       22日 農商省、鋳掛け業者総動員で全世帯の鍋釜1個ずつを年内に修理するように通達する。       23日 都庁で古紙とちり紙交換の店を開く。       24日 英軍機120機、スマトラのパレンバンを攻撃。       25日 最高戦争指導会議、「決戦非常措置要項」を決定。          文部省、「大日本教化報国会」を結成する。       26日 警視庁、銭湯の男女入浴日を分けるように指示。       27日 連合国軍の「レド公路(インド〜昆明間)」が全通する。          B29型長距離重爆撃機70機が、東京銀座を白昼爆撃。死者540人。           集中的に被弾した銀座四丁目付近は火の海となる。           また、このときB29が投下した250キロ爆弾は「泰明国民学校」を直撃。           女子教職員4名の命を奪った。          詩人野口雨情死去。享年62歳。       28日 ビルマで爆雷かかえて突入した朝鮮人兵に初感状。       29日 トルコ、対日断交。(2月23日に対日宣戦布告)       30日 造船材となった沼津千本松原の松の根を、今度は松根油の原料として掘り出す。       31日 沖縄第32軍、県民男子の「第二次召集」を実施。   2月       1日 米海軍誌が「富士山は東京空襲の目印」という記事を掲載。          東京の日比谷公園で「B29撃墜展覧会」を開催する。           日本軍機の体当たり攻撃をうけて墜落したB29の機体を、日比谷公園に20日間展示した。       2日 閣議、新聞統制機関の「日本新聞会」解散を決定する。       3日 沖縄県の学徒動員を強化する。       4日 米英ソ首脳による「ヤルタ会談」始まる。(〜11日)       5日 B29迎撃ロケット「秋水(しゅうすい)」配備予定の部隊を新設する。          大蔵省、「塩不足解消は自家製造で」と議会答弁する。       6日 東京杉並区で、浴槽の出入りに号令をかける銭湯が、「号令銭湯」として評判、と新聞に。       7日 沖縄県、平時行政から戦時行政へ切り替わる。       8日 農商省、松根油課を新設して航空機燃料増産へ着手。       9日 米英、マルタ島で日本本土侵攻計画を検討。       10日 B29、群馬県太田町の中島飛行機工場を空襲。       11日 皇后の短歌「つき(次)の世を」に曲をけて放送。       12日 英軍と第15軍がビルマで交戦。(イラワジ会戦)          ヤルタ会談の共同コミュニケを発表。       13日 閣議、昭和20年度の貯蓄目標を600億円に決定。          沼津警察署、白金・ダイヤ買い占めの10名を送検。       14日 近衛文麿、昭和天皇に「敗戦必至」と上奏する。       15日 沖縄第32軍、「一人十殺」の戦闘指針を通達する。       16日 米艦載機1200機が関東・東海地方の各地を攻撃し、初めて「宣伝ビラ」を散布。          運輸通信省、京浜地区通過の乗車券を発売停止。       17日 帝国発明協会、入賞161件を表彰。          飯田線で列車が三輪川に転落。死者18人。       18日 日本聖公会主教の佐々木鎮次がスパイ容疑で拘禁される。       19日 米軍、硫黄島に上陸を開始。       20日 昭和天皇、四地方行政協議会会長から事情を聞く。       21日 特攻隊32機、硫黄島周辺で米空母を撃沈する。       22日 翼壮議員同志会の河盛安之介ら16名、より強力な新党結成をと「翼賛政治会」を脱会する。       23日 米軍、硫黄島の摺鉢山(すりばちやま)を占領。           また、米軍司令部は、硫黄島上陸以来「1分ごとに戦死傷者3名」と発表する。          トルコ、日本に対して宣戦布告。       24日 厚生省、空襲による輸血急増により、血液感染の予防措置強化に着手。          探検家河口慧海(えかい)死去。享年79歳。           日本人で初めてチベットを訪れ、日本チベット学の祖とよばれた。       25日 B29型長距離重爆撃機201機が東京を空襲し、2万戸が被災する。       26日 陸軍省および参謀本部首脳会議、戦力配分を陸軍優先とする「本土決戦完遂基本要項」を決定。       27日 海軍、予備役の軍医・歯科医を募集。       28日 空襲被災者の疎開は鉄道運賃が無料となる。   3月       1日 米軍艦載機のべ1218機、沖縄一帯に来襲。       2日 北海道岩内(いわない)町で女子挺身隊員が、航空食用に魚の目玉を1日に数十貫抜く、と新聞に。       3日 米軍、包囲攻撃でマニラを占領する。       4日 大本営、硫黄島で「日本軍勇戦中」と発表。       5日 沖縄で、学童などの「県外疎開」を打ち切る。       6日 「国民勤労動員令」公布。       7日 日本放送協会、警報伝達徹底に関し、ラジオの修理や拡声器を設置する非常対策担当部を新設。       8日 木戸幸一内大臣、重光葵外相と早期終戦を協議。       9日 警視庁、隠匿退蔵物資の一斉摘発を開始する。       10日 0時8分、B29型長距離重爆撃機289機(一説では334機)が東京を爆撃。(東京大空襲)           初の「無差別爆撃」で、江東地区を中心に壊滅的被害。          内務省、米軍宣伝ビラの届け出を義務化する。       11日 「翼賛政治会」脱会者ら25名、「護国同志会」を結成する。       12日 米軍、硫黄島の占領域に本土爆撃用の滑走路を完成。       13日 B29型長距離重爆撃機、夜から翌日未明にかけ大阪に最初の大空襲。       14日 大蔵省、タバコの配給を1日7本から3本にすると発表。       15日 共産党中央委員市川正一、宮城刑務所で獄死。          大本営、満州国配備の師団に対し、内地に移動を発令する。       16日 戦災見舞いの塩鮭など300トンが東京築地に届く。       17日 米軍、硫黄島全島を事実上占領し、日本軍残存勢力の掃討戦に移行する。          海軍、特攻専用機「桜花(おうか)」を兵器採用する。       18日 「決戦教育措置要綱」が採用され、4月から授業の停止が決定。       19日 B29型長距離重爆撃機290機、名古屋市街を無差別爆撃。       20日 運輸省、東京〜下関間以外の急行列車を廃止。       21日 小磯国昭首相、汪兆銘政権考試院の繆斌(ミョウヒン)副院長を通じて日中和平工作を提案(繆斌工作)。           重光葵外相らこれに強く反対する。       22日 大日本戦時宗教報国会、米軍「必滅」声明を出す。       23日 大本営、東部軍に対して、長野県松代に地下大本営の新設工事開始を命じる。       24日 警視庁、空襲死亡者を従来の「変死者」から、「戦災死亡者」に変更する旨、各警察署に通達。       25日 米軍、硫黄島の日本軍守備隊の玉砕を確認。           捕虜となった210人を除いて全員戦死する。(日本軍の玉砕を17日の段階に求める説もあり)          農商相、1日二合三勺(しゃく)の主食を確保したと言明。       26日 米軍、沖縄の座間味(ざまみ)島に上陸。172名が自決。       27日 ビルマで国軍が蜂起し、抗日武装闘争が全土へ拡大。          米軍、関門海峡に機雷を投下し、海峡封鎖を開始。       28日 「軍事特別措置法」公布。       29日 陸軍省、召集範囲を拡大するために規則を改正。       30日 「翼賛政治会」を解散し、「大日本政治会」結成。       31日 兵庫県で不時着機に列車が衝突して死者11人。   4月       1日 米軍、沖縄本島に上陸を開始。          米潜水艦、台湾海峡で輸送船「阿波丸」を撃沈。           阿波丸は連合国軍捕虜への救恤品を運ぶ途中で、緑十字をつけて航行していた。           生存者は1人。       2日 米軍、夜間空襲に際し、初めて照明弾を使用する。       3日 マッカーサー、米太平洋陸軍総司令官に就任。       4日 京都市で国宝の仏像などの疎開が完了する。       5日 ソ連、日本に対し「日ソ中立条約」を延期しない旨通告する。          小磯国昭内閣、総辞職。       6日 連合艦隊司令部、沖縄の米軍に対して最大規模の第一次航空総攻撃を発動する。(菊水一号作戦)          戦艦大和以下の海上特攻隊、沖縄へむけて山口県徳山港を出発。       7日 鈴木貫太郎内閣、成立。鈴木貫太郎首相は戦争続行を言明。          戦艦大和以下10隻の海上特攻隊、薩摩諸島沖合で壊滅。       8日 大日本教育会、陸海軍に献金各130万円と戦闘機「全日本学徒号」を献納し、運動を終了する。       9日 埼玉県下に天然痘が流行を確認する。2日からこの日までに15人の発病者。       10日 京都の画家らが「海軍軍需美術研究所」を作る。       11日 スペイン政府、日本との国交関係断絶を発表。          文学座の舞台「女の一生(主演:杉村春子)」、東京渋谷の東横映画劇場で初演。       12日 アメリカ大統領ローズヴェルト急死。後任はトルーマン。       13日 閣議、「国民義勇軍」の創設を決める。          B29、東京を無差別爆撃。明治神宮など焼失する。       14日 東京帝室博物館、美術品の疎開を開始。       15日 吉田茂ら、和平工作の嫌疑で憲兵隊に検挙される。       16日 軍需インフレで200円紙幣発行。          小説家田村俊子死去。享年60歳。代表作は『木乃伊の口紅』『女作者』など。       17日 ガンジー、インドの完全独立に向けて声明を発表。          秋田県一日市(ひといち)町で大火事。           全600戸中537戸が焼失。面潟(おもがた)村にも飛び火し、19日になって鎮火。       18日 東郷茂徳外相、重光葵前外相がすすめていたスウェーデン経由の和平工作を打ち切る。       19日 日本通運、衣料など疎開品の保管を始める。       20日 軍需省、日本発送電・九州火力発電に合併命令。       21日 沖縄の伊江島守備隊主力が全滅する。       22日 ソ連軍戦車隊、ベルリン市街に突入。       23日 大東亜共栄圏大使会議が東京で開催される。           参集国は日本・満州国・中国(南京政府)・タイ・ビルマ・フィリピンの6ヵ国。           「米英の専制を許さない真の世界平和」を宣言した。          中国共産党七全大会が延安で始まる。       24日 来日中の満州国総理張景恵、塩や大豆などの戦災見舞い品目録を、鈴木貫太郎首相に贈呈する。       25日 宮内省、名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)の雌(めす)を疎開させる。          米ソ両軍、エルベ河畔のトルガーで合流する。       26日 日本政府、「阿波丸」撃沈について米国に抗議文を提出する。       27日 ムッソリーニ、パルチザンに逮捕される。       28日 農商省、麦とイモの買い入れ価格増額を発表。       29日 鎌倉鶴ヶ岡八幡宮で、鎌倉擲弾義勇隊(てきだんぎゆうたい)の結成式。       30日 政府、原則として官庁の休日全廃を決定。          ヒトラー、ベルリンの首相官邸の地下壕で自殺。    この月、理研希元素工業(東京空襲のため福島県石川町へ移転)が、ウラン鉱の探索を実施。         この探索は、陸軍による原爆製造の実現にむけての極秘調査であった。   5月       1日 川端康成・高見順らが貸本屋「鎌倉文庫」を開店。          国民勤労動員のための国民登録が全国で実施される。       2日 英軍、ビルマのラングーンを占領。       3日 予科練生が岩手山麓で松根油を製造、と新聞に。       4日 沖縄県庁職員らが4月の給料を陸軍省に献金。       5日 米軍機、広島呉市および九州各航空基地へ来襲。       6日 津田塾専門学校の女子生徒4人、同校に移転した第92部隊の門標を玉川上水に流す。          歌舞伎俳優15世市村羽左衛門死去。享年71歳。           市村羽左衛門は江戸三座のひとつ市村座の座元。       7日 ドイツ軍が無条件降伏文書に調印する。       8日 軍需融資を迅速化するために「資金統合銀行」が設立される。       9日 日本政府、ドイツ降伏後も日本の戦争遂行決意は不変である旨の声明を出す。          靖国神社、1週間の「伏敵祈願」を始める。       10日 B29型長距離重爆撃機379機、岩国・九州各地を焼夷弾爆撃。          米統合幕僚長会議、「オリンピック作戦(九州上陸作戦)」と「コロネット作戦(関東上陸作戦)」を承認。       11日 最高戦争指導会議、外交手段によるソ連の参戦防止で見解が一致する。       12日 大蔵省規則が改正され、官吏給料3ヵ月分が前払い。       13日 米軍に投降した独軍潜水艦に同乗していた日本軍士官が自決する。          「日本貯蓄銀行(後の「あさひ銀行」、現在の「りそな銀行」)」が設立される。       14日 B29型長距離重爆撃機480機、名古屋大空襲。このとき名古屋城焼失する。       15日 閣議、「日独伊三国同盟」の失効を決定する。          東京で長距離乗車券の発売駅と枚数を制限。       16日 第一期海軍特別幹部練習生が各航空隊へ入隊。       17日 富山地方鉄道の三郷駅で、上りと下り列車が正面衝突。死者35人、重軽傷者150人。       18日 東京都、未疎開学童に対して寺子屋式教育を開始。       19日 運輸通信省、廃止。代わって「運輸省」が発足する。       20日 全国のタバコ店でアルミ貨幣の回収運動開始。       21日 出勤率が低下し、東京で70数パーセント、と新聞に。       22日 沖縄第32軍、首里を放棄して沖縄南部へ後退を決定。       23日 デンマーク、対日断交を正式に通告。       24日 義烈空挺隊の120名が、米軍占領下の沖縄読谷・嘉手納両飛行場に特攻を実施。           熊本県健軍基地を出発した全12機中、1機が強行着陸に成功。米軍機8機を破壊するが全滅した。       25日 B29型長距離重爆撃機470機、東京大空襲。山手の都区部の大部分を焼失し、宮城(皇居)も炎上する。       26日 前日の空襲に関し、臨時閣議を開催。       27日 東京の新聞5社が被災したため、「共同新聞」を発行。       28日 朝鮮総督府、日本本土行き乗車券を発売停止。          海軍、人間魚雷「回天」などを水中特攻兵器として採用。       29日 白昼にB29型長距離重爆撃機とP51型戦闘機が来襲。横浜の市街地焼失。          沖縄第32軍、首里より撤退を開始。       30日 沖縄第32軍、早朝に摩文仁(まぶに)に到着。          長野県山田温泉で火事。疎開中の女児が死亡。       31日 米軍、沖縄の首里地区一帯を占領する。   6月       1日 米国のスティムソン委員会、トルーマン大統領に対して日本への原爆投下を勧告。       2日 都内の銀行が各被災地に共同店舗を開設。       3日 独・仏・蘭からの引き揚げ邦人141人、シベリア経由で満州里へ到着。       4日 内務省、「戦災者北海道開拓協会」を設立し、5万戸の北海道移住を計画。       5日 B29型長距離重爆撃機350機が神戸へ来襲し、神戸の東半分が焼失。       6日 政府、総合計画局に戦災復興部を設立。       7日 B29型長距離重爆撃機418機が、大阪市とその周辺に焼夷弾爆撃。          国技館で傷痍軍人のみを招待した非公開の大相撲興業が始まる。(〜6月13日)          哲学者西田幾多郎(きたろう)死去。享年75歳。           「西田哲学」の祖で、主著は『善の研究』など。       8日 天皇臨席の最高戦争指導会議で「本土決戦」の方針が打ち出される。          東京都国民義勇隊の結成式が実施される。       9日 木戸幸一内大臣、ソ連の仲介で戦争終結をはかろうとする「時局収拾対策試案」を昭和天皇に内奏する。       10日 米軍機362機、関東全域の工場地帯を攻撃する。       11日 戦時損害賠償保険の請求手続きが簡素化される。       12日 福島県奥川村で天然痘患者12人を確認する。       13日 大政翼賛会・翼賛壮年団・大日本婦人会などを解散し、「国民義勇隊」に統合する。          日本交響楽団が戦時中最後の定期演奏会を開催。       14日 千葉県、戦争に直結しない学校科目を停止。       15日 山田耕筰らによる音楽挺身隊、戦災地区の慰問を開始。          B29型長距離重爆撃機、大阪を空襲。以後、米軍は中小都市へも空襲攻撃の目標範囲を拡大。       16日 都民食堂に代わる「外食券食堂」が開店。       17日 台湾むけの民間郵便の引き受けを停止。       18日 沖縄の前線で負傷兵看護にあたった「ひめゆり部隊」49名、摩文仁村の洞窟で自決。       19日 「緊急住宅対策要綱」が閣議報告され、半地下式住宅の建設促進などがもりこまれる。       20日 ガス料金が19年ぶりに値上げ。(値上げ幅は4割)          米と代用食半々の配給が東京で始まる。       21日 「戦時緊急措置法」が公布され、非常時には政府に全権が与えられることとなる。          米軍沖縄列島副司令官、軍政府を統括。(米陸軍による沖縄統治)       22日 B29型長距離重爆撃機418機、近畿・中国地方を空襲する。          天皇、終戦を目標とする「時局収拾」方策の具体化を指示。       23日 沖縄第32軍司令官牛島満中将(自決直前に大将に昇進していたとの説あり)ら、摩文仁村で自決。           これにより沖縄守備隊の組織的抵抗が終わる。          「義勇兵役法」公布。       24日 東京神田の戦災地で茨城の少年農兵隊が田植え。       25日 大本営、沖縄での作戦終結を発表。       26日 B29型長距離重爆撃機1機、北海道に初めて来襲。       27日 米上院、日独の在米資産の処理につき公聴会。       28日 東郷茂徳外相、対ソ交渉案を広田弘毅特使に手渡す。       29日 宇都宮市が地下病室工事に着手。       30日 秋田県の花岡鉱山で、強制連行の中国人労働者850人が蜂起する。(花岡鉱山事件)   7月       1日 全国で銀行預貯金の共通支払制度が始まる。       2日 横浜市、職員350人を勤務成績不良を理由に解雇する。       3日 横須賀市でブタノール盗飲の11人が死亡。       4日 「インドネシア建国にむけてスカルノが日本軍との協力を準備中」との同盟電が入る。       5日 関東軍、防衛範囲を縮小した対ソ作戦を決定。       6日 197世帯からなる「拓北農兵隊」、北海道へ出発。       7日 初のロケット機「秋水」、試験飛行で墜落。       8日 東京都、「雑草の食べ方」の講習会を始める。          横浜地検、ジャガイモ窃盗犯撲殺を起訴猶予とする。       9日 帝国生命などで戦争保険金の支払いを始める。       10日 最高戦争指導会議、近衛文麿のソ連派遣を決定。          米艦載機のべ1200機、関東全域に来襲。       11日 食糧配給が1割削減され、1日2合1勺となる。          大阪朝日会館で「復興文楽」が開幕。       12日 罹災(りさい)した戦災地利用の「戦時罹災土地物件令」が公布され、即日施行。       13日 米国務省、「阿波丸」撃沈についての責任を認める声明を出す。       14日 青函連絡船翔鳳丸など9隻が米艦載機に撃沈される。これにより「青函航路」壊滅。       15日 東京の警官、空襲警戒のため制服1万着を黒染めにする。       16日 アメリカ、ニューメキシコにおいて世界初のプルトニウム型原爆の実験に成功。       17日 米(トルーマン)・英(チャーチル)・ソ連(スターリン)、ポツダム会談を開催。(〜8月2日)       18日 ソ連政府、近衛文麿特使の受け入れを拒否。       19日 医師不足により、歯科医対象の医師試験受付を実施。          仙台で重要施設をのぞき農地化を決定する。       20日 広瀬豊作蔵相、悪性インフレを防止するため、統制価格を廃止して自由価格の導入を閣議で提言。       21日 軍法会議で、「すみれ丸奪取未遂事件」の朝鮮人軍属9名に懲役刑の判決がでる。          旅行者の外食券制度を実施。駅弁も外食券の対象となる。       22日 P51型戦闘機200機、近畿各地を機銃射撃する。       23日 阿南惟幾陸相、鉄道を鉄道義勇戦闘隊に編成を指令。          金属不足で木製飛行機の増産を計画。       24日 京城で大義党の演説中に反日派の爆弾が爆発。          大審院、「ゾルゲ事件」連座の犬養健(たける)に無罪判決。       25日 トルーマン米大統領、日本への原爆投下を指令。          米艦載機、広島呉軍港を爆撃。重巡洋艦利根が係留のまま大破。          政府、本土決戦に備えて「松根油増産完遂運動」を開始。       26日 米・英・中首脳、「ポツダム宣言」を発表。       27日 沖縄発進の戦闘機と爆撃機の連合部隊、九州各地を機銃爆撃。       28日 鈴木貫太郎首相、「ポツダム宣言」を黙殺すると発言。       29日 軍需省、銅くずを1貫目3円50銭での買い上げを実施。           戦災地から毎日3万貫を回収していると発表する。       30日 駐ソ大使佐藤尚武、ソ連に和平斡旋を依頼する。       31日 米潜水艦、苫小牧の王子製紙工場を艦砲射撃。   8月       1日 東京で購入通帳を一本化し、隣組単位での配給を開始。       2日 日本音楽文化協会が150名からなる「職域国民義勇隊(隊長:山田耕筰)」を結成。       3日 米軍、B29による機雷敷設で日本の港湾と内海航路を完全に遮断したと発表する。       4日 東京都、靴の修理班を38ヵ所に設置する。       5日 連合国軍、太平洋の作戦区画を変更。           これにより、米軍は日本本土侵攻、英軍・豪軍は南方奪回にあたることになる。       6日 午前8時15分、広島に原子爆弾投下。       7日 愛知県の豊川海軍工廠が爆撃され、女子挺身隊員・国民学校児童ら2477人が即死する。          海軍、ジェット機「橘花」の試験飛行を実施。       8日 ソ連、対日宣戦を布告して、ポツダム宣言に参加。           宣戦布告にあわせて、ソ連軍は国境を突破して進軍。           このソ連対日宣戦布告を、日本側は翌9日の放送ではじめて知る。           この対日宣戦布告は、当初8月15日に行われる予定だったのを繰り上げて実施。       9日 午前11時11分、長崎に原子爆弾投下。       10日 午前2時20分の御前会議で、国体護持を条件に「ポツダム宣言」受諾を決定。           日本政府は、中立国スウェーデン・スイスを通じて連合国へポツダム宣言受諾を打診。          日本証券取引所、本日より当分の間「休会」を決定。       11日 下村宏情報局総裁、「国体護持」の談話を発表。          阿南惟幾陸相、「決戦覚悟を」との談話(全将兵への断固抗戦訓示)を発表。           新聞各紙は、下村宏情報局総裁・阿南惟幾陸相の両談話を並べて掲載した。       12日 日本政府、ポツダム宣言受諾に対する連合国の回答を受け取る。           政府では、その内容(天皇制の存続には一切触れずに、無条件での「降伏」を勧告)をめぐって大混乱となる。          北村サヨが「天照皇大神宮教(踊る宗教)」を開教。       13日 B29、日本が無条件降伏したむねの宣伝ビラを東京一帯に散布する。       14日 政府内の混乱に対処するため、御前会議で「ポツダム宣言」受諾を再確認。           日本政府は、中立国スウェーデン・スイスを通じて連合国へポツダム宣言受諾を正式に申入れ。          昭和天皇、「戦争終結の詔書」を発布。           ラジオ放送用に録音し、翌15日正午に放送することとした。          内務省警保局、「治安維持に関する件」を通牒。          マッカーサー元帥、「連合国軍最高司令官(SCAP)」に就任。       15日 陸軍の一部将校が終戦阻止の反乱を起こす。           「戦争終結の詔書」録音盤奪取をはかったが鎮圧された。          正午に「戦争終結の詔書」を放送する。(通称「玉音放送」)           日本の無条件降伏により、第2次世界大戦が終結する。          鈴木貫太郎内閣、総辞職。          内大臣、東久邇宮稔彦に組閣を要請。東久邇宮稔彦は要請を辞退。          朝鮮建国準備委員会がソウルで結成される。       16日 昭和天皇、即時停戦を下命。          昭和天皇、東久邇宮稔彦に組閣を要請。          トルーマン米大統領、「日本は分割統治せず」との声明をだし、米国の単独占領を言明する。          スターリン、トルーマンへ「北海道北部のソ連軍占領」を提案する。          俳優丸山定夫死去。享年44歳。死因は広島慰問巡演中での被爆。       17日 東久邇宮稔彦内閣、成立。          昭和天皇、陸軍・海軍の全軍人にむけて「国家永年の礎を遺さむことを期せよ」と勅語。          トルーマン米大統領、スターリンの「北海道北部ソ連軍占領案」を拒否する。       18日 日本政府、陸軍・海軍の全部隊に停戦を示唆。          内務省、地方長官に占領軍向け性的慰安施設設置を指令する。          トルーマン米大統領、「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成(SWNCC採択)」を承認。          満州国皇帝溥儀が退位し、満州国消滅。       19日 インド独立運動の指導者チャンドラ・ボース、死去。           日本へむかう途中の台北で、飛行機事故により死亡。享年48歳。       20日 河辺虎四郎中将ら全権委員、マニラで連合国総司令部から降伏文書・一般命令第1号(陸海軍)を受領。           河辺虎四郎中将ら全権委員は、翌21日に日本へ帰国。          灯火管制が3年8ヶ月ぶりに解除。          英政府、連合国対日管理理事会の設置を提案。       21日 支那方面派遣軍の今井少将、中国側と停戦協議。       22日 樺太からの引き揚げ船3隻が国籍不明の潜水艦に撃沈される。死者1708人。          尊攘同志会員ら12名、愛宕山で自爆による集団自決。          ラジオの天気予報が復活。       23日 電力制限が撤廃になる。          北千島の日ソ両軍で停戦協定成立。          新聞の天気予報が復活。          米政府、英政府の連合国対日管理理事会設置要求を拒否。       24日 八高線多摩川橋梁で列車の衝突事故。死者105人。          降伏反対の皇国義勇軍48人(うち女性8人)、松江市で県庁・新聞社・放送局・発電所を襲撃。           これにより、県庁が焼失。また、新聞の発行が不能となる。          埼玉県朝霞に野営中の陸軍将校ら67人、川口・鳩ヶ谷放送所などを占拠。           午後6時から約9時間、関東地区の放送が不能となる。       25日 軍需省など、8月15日付で軍需会社の指定取り消しを告示。       26日 「特殊慰安施設協会(RAA)」設立。(本部:銀座)          大東亜省と軍需省、廃止。          農商省を分割し、農林省と商工省が発足。          外務省外局として終戦連絡中央事務局(長官:岡崎勝男)を設置。       27日 特殊慰安施設協会(RAA)最初の占領軍向け性的慰安施設「小町園」が大森海岸で開業。          真珠湾攻撃以来途絶していた日米間の直通無線が再開する。          連合国軍艦船約430隻、相模湾に集結。       28日 米第8軍先遣隊146名、厚木飛行場へ進駐。          東久邇宮稔彦首相、「国体護持」を演説するも、「一億総懺悔」を強調して国民の不評を買う。          閣議、「言論・集会・結社の取締方針」を治安警察法精神の「戦前の状態」に戻すことを決定。          閣議、「戦後通貨対策委員会(委員長:賀屋興宣)」の設置を承認。       29日 日本放送協会、米の対日放送への妨害電波を停止。       30日 マッカーサー元帥、厚木飛行場へ到着。       31日 東久邇宮稔彦首相、新聞紙上で「国民からの意見を政治の参考としたい」と呼びかける。          横浜市で米兵がビール輸送中のトラックを襲撃。    この月まで、地方銀行の間で合併・統合がさかんとなる。   9月       1日 第88回臨時帝国議会招集。(4日開会・5日閉会)          綜合計画局が廃止され、内閣調査局が設置される。          運輸省、渉外室(RTO)を設置する。          東京の国民学校と中等学校で、正規の授業を再開。          ソ連、千島列島全域の占領を発表。          東劇で猿之助一座が歌舞伎を再開する。       2日 政府代表重光葵外相・軍部代表梅津美治郎(よしじろう)参謀総長、日本側全権大使として「降伏文書」に調印。           調印式は米軍艦「ミズーリ」上で行われ、これにより太平洋戦争は終結した。          GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)、指令第1号を指令。           指令第1号の内容は、軍隊の敵対行為禁止・武装解除・軍需生産全面停止など。          スターリン、南樺太・千島を獲得する旨を言明。       3日 マッカーサー元帥、重光葵外相と会談し、直接軍政に関する布告の発令中止を決定。          GHQ、指令第2号として、政府・大本営が行うべき戦後措置の内容を指令。          GHQ、日本船舶を国家管理のまま、米国太平洋艦隊司令官の指揮下に編入することを決定。          GHQ、全国の駅名をローマ字でも表記するように指令。          イギリス人新聞記者バーチェットが「広島における大惨状(ノー・モア・ヒロシマ)」を打電。          山下奉文(ともゆき)大将、フィリピンで降伏文書に調印。       4日 第88回臨時帝国議会開会。(〜9月5日閉会)          神奈川県、各学校に女子の休校措置を通達。       5日 東久邇宮稔彦首相、帝国議会で施政方針演説。          GHQ、対米謀略放送で「東京ローズ」を逮捕する。       6日 トルーマン米大統領、「降伏後における米国の初期対日方針」を承認し、マッカーサー元帥に指令。          重光葵外相、連合軍は軍政を敷かないと発表。       7日 警視庁、連合軍の東京進駐にそなえ、通訳200名を急募する。       8日 連合国軍の米兵約8000名、東京にジープで進駐を開始。          GHQ、米軍第3鉄道輸送司令部が鉄道輸送関係業務を担当すると発表。       9日 マッカーサー元帥、日本管理方針に関する声明で「間接統治方針」を発表。          岡村寧次(やすじ)大将、南京で中国への降伏文書を調印。          米兵による略奪・暴行事件が銀座と大森海岸で発生。(米兵ギャング事件)       10日 GHQ、「言論および新聞の自由に関する覚書」を日本政府に提示する。           これにより、報道可能な範囲を規定しGHQに関する事項の報道制限を実施。          東京淀橋警察署、闇市の露店を全面禁止。          ロンドン外相会議開催。(〜10月2日)           米・英・仏・ソ・中の外相が参加し、旧枢軸国との講和問題などについて協議した。       11日 9日の「米兵ギャング事件」をうけて、隣組が婦女子へ警告を回覧。           隣組緊急回覧板に「婦人は進駐軍に笑顔を見せるな」と警告した。          GHQ、東条英機元首相ら戦争犯罪人39人の逮捕を指令。           逮捕直前、東条英機は拳銃により自殺未遂。          市川房枝ら、戦後対策婦人委員会の初会合。       12日 警視庁、頻発している米兵による犯罪の対策のため連絡室を設置する。       13日 近衛文麿副総理格国務相、マッカーサー元帥を訪問。          大本営廃止。          国後島進駐のソ連軍、千島のソ連領編入を宣言する。       14日 GHQ、100トン以上の船舶航行を解禁。          「大日本政治会」解散。          GHQ、「言論および新聞の自由に関する覚書」違反で、同盟通信社の業務停止を指示。           翌15日正午まで配信停止を命ぜられる。       15日 東京日比谷第一生命相互ビルにGHQ本部を設置することが決定される。          GHQ、日華道船舶の修理促進および戦時標準船の完成を命令。          ソ連、千島全島をソ連領とする旨を布告。          東久邇宮稔彦首相、マッカーサー元帥を訪問。          全国の大学・高専、一斉に授業を再開。          『日米会話手帖』刊行、360万部売れる。       16日 海軍省、引き揚げ者輸送のための艦艇乗組員を召集。       17日 GHQが東京へ移転。          日本政府、15日のGHQ命令をうけて「船舶造修能力の回復措置」を決定する。(いわゆる「続行船」の生産開始)          西日本を中心に「枕崎台風」が上陸。室戸台風に次ぐ規模で、死者・行方不明者3756人。       18日 入江俊郎内閣法制局第一部長、憲法改正検討報告書の「終戦ト憲法」を法制局長官へ提出する。          東久邇宮稔彦首相、外国人記者団との初会見で、「憲法修正に関して、内政改革の時間的余裕はない」と発言。          GHQ、「言論および新聞の自由に関する覚書」違反で、朝日新聞社の業務停止を指示。           朝日新聞は「48時間(9月19日〜20日)」の休刊を命ぜられる。          閣議、外国放送の聞ける受信機禁止を解除。       19日 GHQ、「プレス=コード(日本新聞規則に関する覚書)」を指令。       20日 「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」公布。即日施行。           これが、「ポツダム勅令」の法的根拠となる。          文部省、中等学校以下の教科書から戦時教材を削除を指示。教科書の墨塗り作業が始まる。       21日 米陸軍に代わり、米海軍が沖縄を統治。          朝鮮の米軍、神社法など朝鮮人弾圧と判断される法令を破棄。       22日 米国政府、「降伏後における米国の初期対日方針」を発表。          GHQ、指令第3号を発令。           指令第3号の主な内容は、生活必需品の生産促進・輸出入活動の禁止・金融取引の統制など。           なお、指令第3号は「米国の初期対日方針」に基づく初の基本的指令である。          GHQ、「ラジオ=コード(日本ラジオ規則に関する覚書)」を指令。          生活必需品の生産促進と輸出入活動の禁止を指令。       23日 占領軍むけラジオ放送(AFRS)が始まる。          京大グラウンドで戦後初のラグビー公式戦が実施。       24日 トルーマン米大統領、マッカーサー元帥の権限に関して指令。          大蔵省、占領軍軍票は無制限通用通貨である旨を公布。          「プレス(報道)の政府からの分離に関する覚書」公布。           これにより、新聞・通信社に対する、日本政府の統制支配が廃止される。           しかし、これは同時に「プレス(報道)」全般への統制が、GHQの「直接統治」へ移行したことを意味した。       25日 復員第一船の「高砂丸(たかさごまる)」、中部太平洋メレヨン島から1628人を乗せて別府港に到着。          GHQ、「製造工業の運営に関する覚書」発令。           22日の指令第3号にもとづき、さしあたって日本に存続を許す工業の規模を規定。          閣議、民衆的放送機関設立を承認。           これにより「民放設立運動」が起こる。          東京銀行集会所を改組して、東京銀行協会が設立。           協会長には、万代順四郎帝銀会長が就任した。       26日 哲学者三木清、共産主義者をかくまった罪で入獄中、東京豊多摩拘置所内で獄死する。           享年49歳。三木清はマルクス哲学から親鸞研究まで幅広い活動で知られた。       27日 昭和天皇、アメリカ大使館にマッカーサー元帥を訪問する。       28日 外務省、宮沢俊義東大教授(憲法学)を招いて「ポツダム宣言に基づく憲法、同付属法令改正要点」の講演会を実施。          日本社会党の第1回準備会が開催される。       29日 東久邇宮稔彦首相、マッカーサー元帥を訪問。          昭和天皇がマッカーサー元帥を訪問した際(27日)の写真を各紙が掲載。          内務省情報局、昭和天皇のマッカーサー訪問写真掲載を不敬として発禁処分。          GHQ、「プレス(報道)および言論の自由への追加措置に関する覚書」を9月27日付で公布。           同覚書の効果を27日にまで遡及させ、内務省情報局の発禁処置を即日取り消しとすることを決定。           これにより、昭和天皇のマッカーサー訪問写真が新聞に掲載されることとなった。          GHQ、戦時諸法令の廃止を指令。       30日 「大日本労務報徳会」解散          「大日本産業報国会」解散。          七尾市で中国人労働者380名が警察署を襲撃。          GHQ、特定金融機関の閉鎖を指示。           これにより、満鉄・戦時金融公庫など29の特定金融機関が即時営業停止となる。    この月、街頭に「闇市」氾濫。    この月から11月頃まで、北海道・常磐などで中国人・朝鮮人などの「暴動」続発。   10月       1日 GHQ、「郵便検閲に関する覚書」公布し、郵便物の検閲を命令。          終戦連絡事務局官制改正公布。           この改正により、外務大臣の管理下で各省の連絡緊密化をはかった。          英政府、極東委員会(FEC)の付託条項を提案する。          東京地検、占領軍が放出した木綿服地を横領した容疑で、足立区長ら3名を起訴する。          全国銀行協会連合会(会長:加藤武男三菱銀行頭取)設立。       2日 進駐軍要人用の「オクダゴニアン号」運転開始。           これ以後、進駐軍専用・優先列車(通称:白帯車両)が多く運転されるようになる。       3日 山崎巌内相、「治安維持法に基づく共産主義者の検挙継続」発言。          秋田船川港で中国人労働者が警察署など占拠する。       4日 GHQ、「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書」提示。           これにより、政治犯の即時釈放・治安維持法廃止などを指示する。          近衛文麿副総理格国務相、マッカーサー元帥と会談。           憲法改正とGHQ政治顧問アチソン(国務省派遣)との連絡を示唆される。       5日 4日の覚書の実行は不可能として、東久邇宮稔彦内閣が総辞職。          「全日本海員組合」(戦後初の全国単産)創立。          東京都で簡易住宅の建設申し込み受付を開始。       6日 全国の特別高等警察が廃止される。       7日 室戸丸、兵庫県沖で機雷に触れて沈没。       8日 近衛文麿、GHQ政治顧問アチソンと非公式に会談。           12項目にわたる憲法改正の具体的提案をうける。          夕張炭坑で朝鮮人労働者6000余人がストライキ。          上野高等女学校で、学校農園の不正で生徒が同盟休校。           以後、全国の学校で「盟休(同盟休校)」が相次ぐ。          GHQ、日本政府および陸海軍が保有する金・銀・プラチナの接収を指示。       9日 幣原喜重郎内閣、成立。          外務省、「自主的即決的施策ノ緊急樹立ニ関スル件(試案)」をまとめる。          GHQ、「必要物資の輸入に関する覚書」提示。           これにより、日本国民の最低生活水準維持に必要な物資のみに限り輸入が許可された。          GHQ、8日の指示に基づき「陸海軍から大量の金銀を押収した」と発表。          東京5紙(朝日・毎日・読売・東京・日本産業)に新聞事前検閲を開始。          米よこせデモを契機に、大阪で「主婦の会」結成。       10日 松本烝治国務相、閣議で幣原喜重郎首相へ「憲法改正の必要性」について打診。           このとき首相は憲法改正に対して無反応だったと伝えられる。          GHQ政治顧問アチソン、米国務省に近衛文麿に対する私的な示唆について通知。          疎開学童の帰京が始まる。(〜翌年3月)          徳田球一ら獄中の共産党員約500人を含む政治犯約3000人が釈放される。       11日 マッカーサー、幣原喜重郎首相に憲法改正を示唆するとともに「五大改革」を口頭で指令。           五大改革とは、女性の解放・労働者の団結・教育の自由化・経済の民主化の5つ。          閣議、治安維持法の廃止を決定。          田付景一外務省条約局第二課長兼第一課長、「帝国憲法改正問題私案」を提出。          外務省、『憲法改正大綱案』をまとめる。       12日 松本烝治国務相、閣議で近衛文麿による憲法改正作業を批判。          幣原喜重郎首相、マッカーサー元帥と会談。          近衛文麿、内大臣府御用掛に就任。       13日 閣議、憲法改正のための研究開始を決定。          閣議、女性への参政権付与を決定。          幣原喜重郎首相・松本烝治国務相、近衛文麿内大臣府御用掛と会見。           内大臣府の憲法改正作業が、内閣権限に抵触する越権行為であるとして抗議した。          佐々木惣一京大教授(憲法学)、内大臣府御用掛に就任。          新聞各紙が憲法改正に関する記事を掲載。           各紙記事の題目は、『朝日新聞』が「欽定憲法の民主化」、『毎日新聞』が「憲法改正の緊急性」、           『読売新聞』が「憲法の自由主義化」であった。       14日 GHQ、重要産業へ貯蔵石油を供給することを指令。          童謡作曲家本居長世(もとおりながよ)死去。享年60歳。           代表作は「十五夜お月さん」「七つの子」など。       15日 近衛文麿内大臣府御用掛、外国マスコミに対し、憲法改正構想について会見を開く。          治安維持法、廃止。          海軍軍令部、廃止。          安田保善社理事会、保善社の解散を決定。          在日本朝鮮人連盟が結成大会を開く。       16日 宮沢俊義東大教授(憲法学)が、『毎日新聞』上で内大臣府の憲法改正作業を批判。          元東大教授の蝋山政道(行政学)が、『毎日新聞』上で憲法改正の時期尚早を主張。          日本社会党設立委員会、内大臣府と政府の憲法改正作業を批判。          新宿御苑の約8万坪が田畑用に解放される。       17日 米国務省、GHQ政治顧問アチソンに訓令を通知。           この訓令により、憲法改正の基本的事項のアウトラインを示す。          蒋介石の国民党軍、台湾に上陸を開始する。       18日 松本烝治国務相、新設の「憲法問題調査委員会」の基本的性格を記者団に発表。          南方諸島からの引揚者数が、2万1850人をこえる。       19日 宮沢俊義東大教授(憲法学)が、『毎日新聞』上で憲法改正問題に再度論及する。          公衆電話の代用として「卓上電話」が好評となる。       20日 美濃部達吉東大名誉教授(憲法学)、『朝日新聞』上で「憲法改正不急論」を主張。           美濃部達吉の論説は22日までの3日間連載された。           この中で美濃部は、解釈と運用により帝国憲法の民主化は可能であることを力説。           いたずらに憲法改正を急ぐべきでないと主張した。          盛岡市で弁当難から国民学校は午前中授業。          日本共産党機関誌『赤旗』が再刊。       21日 近衛文麿内大臣府御用掛、外国マスコミと会見。           会見の場で「天皇の退位問題」・「GHQへの新憲法の提出」に関する発言。          佐々木惣一内大臣府御用掛、『毎日新聞』上で内大臣府憲法改正作業批判に反論。          北海道で「昭和新山」の活動終息。       22日 GHQ、軍国主義追放の教育制度政策として「日本教育制度に関する覚書」を公布。       23日 幣原喜重郎首相、近衛文麿内大臣府御用掛と会見し、21日の発言に抗議。          読売新聞社従業員、社内民主化を決議。第一次読売争議へ発展する。       24日 松本烝治国務相、近衛文麿内大臣府御用掛と会見し、21日の発言に抗議。          GHQ、「信教の自由に関する覚書」公布。          国連憲章が発効。国際連合が正式発足する。       25日 日本自由党、党名が正式決定されるとともに、綱領5項目が決定。          憲法問題調査委員会(通称:松本委員会・委員長:松本烝治)、が設置される。          近衛文麿内大臣府御用掛、新聞記者団と会見。           21日の発言意図を再説明するとともに、佐々木惣一内大臣府御用掛の反論を擁護。          GHQ政治顧問アチソン、高木八尺(やさか)東大教授(米国憲法学・外交史)と懇談。           8日の近衛文麿に対する12項目示唆に関する補足説明を行う。          GHQ、覚書を公布して、日本政府の外交権を停止する。           覚書の名称は「日本の在外大使公使館の資産、文書の引き渡し           ならびに在外外交代表召還に関する覚書」。       26日 政府、食糧435万トンの輸入をGHQに懇請する。       27日 米国政府、極東委員会付託条項修正草案を英国・ソ連・中国へ通達。          憲法問題調査委員会、第1回総会開催。           1回目は委員会設置の趣旨説明が行われ、以後翌年2月2日まで7回開催された。          東京都が住宅越冬案として、1万戸の簡易貸家建築などを発表。       28日 明治神宮外苑球場で、六大学OBの紅白試合を行う。          マニラで山下奉文の戦争犯罪裁判が始まる。       29日 秋田師範学校男子部、食糧難のために2週間の休校。          日本勧業銀行、「第1回宝くじ」発売。           1等は賞金10万円に加え、副賞に純綿キャラコ2反が与えられた。       30日 極東諮問委員会(FEAC)第1回会合がソ連参加拒否のまま開催。           以後、12月21日までの間に、10回開催される。          憲法問題調査委員会、第1回調査会開催。           1回目は明治憲法の自由討議が行われ、以後翌年1月26日まで7回開催された。          GHQ、「教職員の調査、精選および資格決定に関する覚書」を公布。           この覚書により、軍国主義的教員の追放を指令。          皇室財産の概要が公表される。          同盟通信社解散。           これにより、11月1日に共同通信社・時事通信社が発足。       31日 25日の覚書により、日本の在外公館による外交活動が全面停止。          GHQ、「若干の会社の証券の売買・移転に関する覚書」公布。           これにより、三菱本社など15会社の一切の証券凍結を指令。   11月       1日 GHQ、憲法改正作業に関し、近衛文麿内大臣府御用掛を支持しない旨の絶縁宣言。          GHQ、日本の警察官が進駐軍将校に敬礼を行うよう命令。          統合参謀本部(JCS)、「初期基本的指令(JCS1380/5)」を発令。          日本銀行、軍需手形の優遇措置を廃止。          三菱本社株主総会、岩崎小弥太社長ら財閥首脳陣の退陣を承認する。          日本国民党、東京日比谷公園で餓死対策国民大会を開く。          共同通信社発足。          時事通信社発足。          青山虎之助、『新生』を創刊。即日13万部売れる。          全国人口調査を実施。総人口7199万8104人。戦争のため女性が男性を420万人上回る。       2日 憲法問題調査委員会、第2回調査会を開催し、改正論点の検討作業に入る。          日本社会党(書記長:片山哲)結成。       3日 新日本婦人同盟(会長:市川房枝)結成。       4日 日本政府、四大財閥(三井・安田・三菱・住友)の自発的解体計画を、GHQへ提出。          上野で全国戦災者同盟の結成式が開かれる。          東京帝国大学経済学部教授会、大内兵衛・矢内原忠雄ら7人の復職を決定。       5日 戦災復興院(総裁:小林一三)発足。          閣議、「戦争責任に関する件」を決定し、天皇の戦争責任否定を確認。          憲法研究会発足。       6日 GHQ、「持株会社の解体に関する覚書」を提示。           GHQは、4日に提出された「四大財閥自発的解体計画」を承認。           持株会社整理委員会を設立して「財閥解体」を推進することを指令。          共産党拡大強化促進委員会、「人民戦線綱領」発表。       7日 住友本社、解散の方針を発表。          埼玉県熊谷東国民学校で、学童の帰農が始まる。       8日 米国賠償委員会、日本国内資産の調査を開始。          マッカーサー元帥に「日本占領および管理のための連合国最高司令官に対する初期の基本的指令」通知。          日本共産党、第1回全国協議会を開催し、「新憲法構成の骨子」を決定する。       9日 日本自由党(総裁:鳩山一郎)結成。          松本烝治委員長、憲法問題調査委員会の活動状況について記者団に説明。          GHQ、映画脚本などの事前検閲撤廃を発表。       10日 憲法問題調査委員会、第2回総会を開催し、委員会の調査方針を確認する。          GHQ渉外局、「日本の労働統制法規の撤廃」発表。           これにより、国民動員令、工場法戦時特令、労務調整令など8法令が廃止。          GHQ、文部省に対して全教科書の英訳版提出を命令。          歴史学研究会、国史検討座談会など活動を再開。       11日 東久邇宮稔彦、敗戦で皇族待遇を辞退すると表明。          日本共産党、「新憲法構成の骨子」を発表。       12日 第一回宝くじの抽選会実施。       13日 昭和天皇、伊勢神宮に参拝する。       14日 小笠原三九郎商工相、食料輸入のため生糸などとのバーター貿易をGHQに申請。           「バーター貿易」とは、輸出と輸入の金額が相手国と一致する貿易の一形態。           決済には普通、信用状や外国為替を用いる。バーター制度・求償制度ともよばれる。       15日 GHQ、東京劇場で上演中の歌舞伎「寺子屋」を反民主的として中止命令。          選挙権者の確定人口を調査するため、人口調査を開始。       16日 日本進歩党(総裁:町田忠治・幹事長:鶴見祐輔)結成。          戦後初の大相撲秋場所が両国国技館で開幕。       17日 閣議、生鮮食品の配給統制撤廃を決定。          36年ぶりのの凶作で供給米価が6割高になる。       18日 GHQ、「皇室財産を封鎖する覚書」を発表。          GHQ、民間航空と航空研究の禁止を指令。       19日 GHQ、「封建的」と評価される日本映画236本を上映禁止にする。          荒木貞夫・小磯国昭ら11名を、戦犯として逮捕。          京都帝国大学総長長鳥養利三郎、京大再建方針を発表する。           再建方針の主な内容は、滝川事件以前の状態に戻すというもの。           翌1946年2月16日に滝川幸辰は教授職復帰を果たす。       20日 昭和天皇、靖国神社に参拝する。          陸軍病院で一般診療を開始する。          大阪梅田の阪急百貨店にサツマイモの無料進呈所が設置され長蛇の列。          京都学生連盟結成。          「ラジオ通信統制に関する覚書(ラジオ・コード)」で、ラジオ放送に対する検閲基準を指示。       21日 治安警察法廃止の件公布。           これにより、治安警察法廃止。       22日 近衛文麿、「帝国憲法改正要綱」を天皇に提出。          閣議、自作農創設の農地制度改革要綱を決定。       23日 GHQ、船舶運営会を「商船管理委員会(CMMC)」として認可する。          神宮球場でプロ野球東西対抗戦が行われる。       24日 GHQ、理化学研究所仁科研究室などのサイクロトロン(加速器)を破壊し、海中へ投棄する。           この破壊は、GHQがサイクロトロンを原爆製造のための施設と誤解したため。           このとき破壊投棄されたサイクロトロンには、京都帝大と大阪帝大のものも含まれていた。          佐々木惣一内大臣府御用掛、『憲法改正案』を進講。          内大臣府廃止。          制限会社令公布。          GHQ、「戦時利得の除去および国家財政の再編成に関する覚書」公布。          GHQ渉外局、食糧・綿花・石油・塩の輸入許可を発表。          戦犯者の恩給扶助停止を指令。       25日 GHQ、財政再編成の覚書を政府に手交。       26日 第89回臨時帝国議会召集           11月27日開会。12月18日閉会。          軍人恩給停止。          東神奈川駅前で「米軍要員」を募集。多くの失業者が殺到する。          横綱双葉山、協会に引退を届け出る。       27日 閣議、石炭・鉄鋼・非鉄金属など重要基礎物資の価格調整補給金制度撤廃を決定。(実施は12月1日から)           これにより重要基礎物資の価格統制が廃止され、石炭は約4倍の価格になる。            (石炭価格トンあたり「20円13銭」が「85円」に上昇した)          羽仁説子・加藤シズエ、CIE婦人課長のウィードと日本の婦人運動について懇談。       28日 GHQ、日本銀行券発行の許可制に関する覚書を指令。       29日 東京の戦災者に1枚約40円で、連合国軍接収の毛布11万2000枚を支給する。       30日 参謀本部を廃止し、陸軍省・海軍省をそれぞれ第一・第二復員省に改組することを決定。   12月       1日 サイパン島に隠れていた将兵45名が投降する。          全日本教員組合(委員長:賀川豊彦)結成。          日本共産党第4回党大会で党再建。          陸軍省・海軍省廃止。           第一復員省官制制定・陸軍省官制廃止の件公布。           第二復員省官制制定・海軍省官制廃止の件公布。       2日 GHQ、戦犯容疑で平沼騏一郎・広田弘毅ら59人の逮捕を命令する。          実業家岩崎小弥太、死去。           享年67歳。岩崎弥之助の長男で、1906年三菱合資副社長を経て、16年社長に就任。           死去するまで三菱財閥を統率し、コンツェルン体制の確立を推進した。           敗戦後の財閥本社に対する自主的解散要求に最後まで抵抗した。           また、成蹊学園の創立や静嘉堂文庫の拡充など文化事業にも貢献した。       3日 東大社研の世論調査で天皇制支持が78パーセント。       4日 閣議、女子大学創設・大学男女共学などを決定。       5日 石炭不足で上越線の急行列車を一部運休。          GHQ、日本証券取引所の活動を全面禁止。       6日 GHQ、戦犯容疑で近衛文磨・木戸幸一ら9人の逮捕を命令する。          ラウエル、「日本の憲法についての準備的研究と提案のレポート」を発表。          東京帝国大学総長に同大法学部長の南原繁教授が選出される。       7日 マニラの米軍法委員会、山下奉文に死刑宣告。       8日 松本烝治憲法問題調査委員会委員長、衆議院予算委で「憲法改正四原則(松本四原則)」を発表。           松本四原則の内容は、            1.天皇が統治権を総覧するという基本原則は不変であること。            2.議会の議決決定権を拡充するために、天皇大権事項をある程度削減すること。            3.国務大臣の責任を国務全般にわたるものとし、同時に議会に対して責任を負わせること。            4.人民の自由および権利保護を拡大し、これらへの侵害に対する救済を完全なものとすること。          共産党ほか5団体、神田で戦争犯罪人追及人民大会を開催し、犯罪人名簿の最後に昭和天皇を加える。          松山市役所前で配給問題に関し抗議中の市民1000人が、進駐軍MPにより実力で解散させられる。           最初の「進駐軍MP(Military Police:憲兵)介入事件」。          映画「ユーコンの叫び」公開。           昭和13年に日本が買い取ってお蔵入りとなっていた冒険映画。           これが戦後初めて公開されたアメリカ映画となった。       9日 GHQ、「農地改革に関する覚書」提示。(農地改革スタート)           この覚書により日本政府は、農地改革計画を翌1946年3月15日までに提出することを厳命される。       10日 GHQ、捕虜虐待容疑で57名に逮捕命令。          京成電鉄争議で、労組が無賃乗車戦術を開始。       11日 第一次読売争議、正力社長退陣などで決着。          GHQ、「日本放送協会の再組織に関する覚書」公布。       12日 松戸市民が首相官邸まで、米三合要求のデモ。       13日 GHQ、失業者援護計画の立案を指令。       14日 日本政府、石炭不足解消のため「石炭庁」を設置。       15日 GHQ、「国家神道に対する政府の保証・支援・保全・監督および弘布(こうふ)の廃止に関する覚書」。           これにより、国家と神道が分離。          上野駅地下道の浮浪者2500人が一斉収容される。          ホイットニー、GHQ民政局(GS)の局長に就任。       16日 近衛文磨、自宅で服毒自殺(享年55歳)。          モスクワ外相会談開催。           米、英、ソの外相により12月26日まで開催。           占領・講和問題、極東問題を協議し、極東委員会(FEC)、対日理事会(ACJ)の設置を決定。       17日 衆議院議員選挙法改正公布され、婦人参政権が実現。          日本で最初の戦犯裁判(BC級)が横浜地裁で開廷。           BC級とは捕虜や住民を虐待したとされる容疑。           昭和24年10月19日の閉廷までに1037人が起訴され、51人が死刑となった。       18日 衆議院解散。          東海道本線辻堂駅で入れ替え中の貨物車両が爆発。死者8人、倒壊家屋400戸。          日本協同党(委員長:山本実彦)結成。       19日 満員の山手線で、背負われた乳児が圧死。          閣議、総選挙の施行日を、翌1946年1月21日か22日にする方針を確認。       20日 GHQ、日本政府へ総選挙期日の暫時延期を指令。          「国家総動員法・戦時緊急措置法各廃止の件」公布。(施行は翌1946年4月1日)       21日 『毎日新聞』、近衛文麿の憲法改正草案要綱なるものを掲載。          フィリピン弁護士会が昭和天皇を戦犯にと米大統領に要請したと、米国弁護士会が発表する。          軍需会社法・輸出入品等臨時措置法・石油業法など8事業法等廃止法公布。       22日 「労働組合法」公布。(施行は翌1946年3月1日)           これにより、団結権と団体交渉権が保障される。       23日 東京鉄道局、占領軍輸送のため、東北本線と常磐線の二等車の切符販売を停止。       24日 GHQ、テレビや暗号通信などの研究を禁止。          憲法問題調査委員会、第1回小委員会を開催。           以後、小委員会は1946年1月23日まで全8回開催された。       25日 川崎市で21工場の労組代表が大会を開く。       26日 新劇合同初公演「桜の園」が東京有楽座で開幕。          憲法問題調査委員会、第6回総会開催し、改正に向けての検討を決定。          憲法研究会、『憲法草案要綱』発表。          極東諮問委員会(FEAC)、コンフェソール、ポンスティール、ノーマンなどを日本視察団として派遣。       27日 米英ソ外相会議、モスクワ宣言を発表。           極東委員会(FEC)・対日理事会(ACJ)の設置で合意する。          鈴木安蔵らの憲法研究会、「憲法草案要綱」を発表。       28日 高野岩三郎、「共和制の改正憲法私案要綱(高野私案)」を発表。          宗教団体法等廃止の件が公布され、かわって宗教法人会令が公布。           これにより、信教の自由が法制度的に保障された。       29日 「農地調整法」改正公布。(第1次農地改革はじまる)          政治犯人等の資格回復に関する件公布。       30日 中野重治・蔵原惟人ら、新日本文学会を結成。       31日 GHQ、「修身・日本史および地理の授業停止と教科書回収に関する覚書」提示。          内閣情報局廃止。    この月から、一般病院で一般診療が再開した。  この年、並木路子の歌う「リンゴの歌」が大流行する。

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