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     大元 略年表        高汝蓮



乙未(太宗7・1235)年
   2月    カラコルム(和林。今ハラホリン)に築城する。〔『元史』2・『続資治通鑑』(畢ゲン[さんずい・元])168〕
         *モンゴル語は文語を基準とし、辞書にないものは事典などを参考にしました。
          発音は「u」は「ウ」(ほんらい「オ」)「q」行は「カ」行にします。
   6月    南宋・西域・高麗を攻める。〔『元史』2・『続資治通鑑』168〕

丙申(太宗8・1236)年
   1月    交鈔(紙幣)を印造する。〔『元史』2〕

辛丑(太宗13・1241)年
   2月27日 ユリウス暦4月9日、リグニツァの戦い。〔『モンゴル帝国史』(佐口透訳注)第2巻166頁(以後2ー166とする)〕
  11月 8日 オゴデイ崩御。年56。〔『元史』2〕

壬寅(1242)年
       春 ドレゲネ(昭慈皇后)称制。〔『元史』2〕

丙午(定宗元・1246)年
   6月 8日 ユリウス暦7月22日。ローマ教皇の使が来る。〔『モンゴル帝国史』2ー238〕
   7月    グユグ(オゴデイ長男。定宗)即位。〔『元史』2〕

丁未(定宗2・1247)年
   9月    高麗を攻める。〔『元史』208・『続資治通鑑』168〕

戊申(定宗3・1248)年
   3月    グユグ崩御。年43。オグルガイミシ(欽淑皇后)垂簾聴政。〔『元史』2・『元史』114〕

辛亥(憲宗元・1251)年
   6月    モンケ(トルイ(テムジン四男。睿宗)長男。憲宗)即位。〔『元史』3〕

壬子(憲宗2・1252)年
       夏 モンケがオグルガイミシに死を賜う。〔『元史』3〕

癸丑(憲宗3・1253)年  
  12月12日 大理を平らげる。〔『元史』3・『続資治通鑑』168〕
  12月    高麗を攻める。〔『元史』3〕

甲寅(憲宗4・1254)年
       夏 高麗を攻める。〔『元史』3〕

乙卯(憲宗5・1255)年
         桓州(内蒙古自治区多倫北西)に鎮を置く。〔『元史』58〕

丙辰(憲宗6・1256)年
   3月    桓州に築城し、宮室を経営する。〔『元史』4〕

丁巳(憲宗7・1257)年
  11月    交趾(安南。チャン(陳)朝。ベトナム)をうつ。〔『元史』3〕

戊午(憲法8・1258)年
   1月17日 ユリウス暦2月21日。ヘジラ暦656年サファル月15日。アッバース朝を滅ぼす。〔『モンゴル帝国史』4ー244〕

己未(憲宗9・1259)年
   7月21日 モンケ崩御。年52。〔『元史』3〕

中統元(1260)年
         桓州城を開平府とする。〔『元史』58〕
   3月24日 クビライ(トルイ四男。セチェン=カガン。世祖)、開平府で即位。〔『元史』4〕
   4月    アリクブカ(トルイ七男)、カラコルムで即位。〔『元史』4〕
   5月19日 中統と建元する。〔『元史』4〕

中統4(1263)年
   5月 9日 開平府を上都とする。〔『元史』5〕

中統5・至元元(1264)年
   4月 1日 中書省を立てる。〔『元史』5〕
   5月19日 至元と改元する。〔『元史』5〕
   7月28日 アリクブカ降伏する。〔『元史』5〕
  10月26日 宋帝趙イン[日・均の旁](南宋第五代理宗)崩御。年61。趙キ[示・基](甥。度宗)即位。〔『宋史』45〕

至元3(1266)年
   8月 7日 黒的・殷弘に国書を持たせて日本へ使わす。〔『元史』6〕
  11月25日 黒的・殷弘、高麗に。〔『高麗史』26〕
  11月28日 高麗、宋君斐・金賛を以って使を導かせ日本に往く。〔『高麗史』26〕

至元4(1267)年
   1月    使、巨済松辺浦に至り、風濤の険を畏れ、遂に還る。〔『高麗史』26〕
   4月 7日 金の中都(北京)の東北に宮城を新築し、遷都する。〔『元史』6〕
   6月29日 ふたたび高麗に黒的を遣わす。〔『元史』6〕
   8月 1日 黒的、高麗に至る。〔『高麗史』26〕
   9月    高麗、潘阜を日本へ往かせる。〔『元史』208〕

至元5(1268)年
         カイドゥ(オゴデイの孫)挙兵。〔『モンゴル帝国史』3ー27〕
   7月18日 潘阜、高麗に還る。〔『高麗史』26〕
   9月    黒的・殷弘、書を持って日本へ往く。〔『元史』6〕
  11月17日 黒的・殷弘、高麗に至る。〔『高麗史』26〕
  12月 4日 日本へいく(対馬島に至るも、日本人は拒んで納めず。塔二郎・弥二郎の二人を執らえる)。〔『高麗史』26〕

至元6(1269)年
   2月13日 新製蒙古字を天下に頒行する。〔『元史』6〕
   3月16日 黒的・殷弘、高麗に還る。〔『高麗史』26〕
   6月    高麗の金有成に命じて執らえた者を還させ、大元中書省の牒を日本にもたらさせる。有成、大宰府に留まる。日本、報ぜず。〔『元史』208〕
  12月    趙良弼に命じ、日本へ使に往かせることにする。〔『元史』208〕

至元7(1270)年
  12月 1日 高麗をして趙良弼を送らせるようにする。〔『元史』7〕

至元8(1271)年
   1月15日 趙良弼、高麗に至る。〔『高麗史』27〕
   9月    高麗、趙良弼を日本へ送る。〔『元史』208〕
  11月15日 国号を大元とする。〔『元史』7〕

至元9(1272)年
   1月18日 趙良弼、日本より還る(日本人弥四郎をつれてかえり、大元に入朝する)。〔『高麗史』27・『元史』208〕
   2月 3日 中都を大都とする。〔『元史』7〕
   2月    高麗、日本へ書を致す。〔『元史』208〕
   4月 3日 日本人12人、大元より高麗へ。〔『高麗史』27〕
   4月 7日 日本人、その国へ還る。〔『高麗史』27〕
   5月    高麗、また日本へ書を以って往かせる。〔『元史』208〕

至元10(1273)年
   1月 9日 モンゴルが樊城(湖北)を破る。〔『元史』8〕
   2月 3日 チンキム(クビライ嫡子。裕宗)を皇太子とする。〔『元史』8〕
   2月24日 襄陽(湖北)がモンゴルに降る。〔『元史』8〕
   6月28日 趙良弼、また日本へ使いする。大宰府に至り還る。〔『元史』208〕

至元11(1274)年
   3月13日 日本を征することを勅する。〔『元史』8〕
   7月 9日 趙キ、崩御。年33。趙ケン[日・幺・幺・れんが](子。恭帝。瀛国公)即位。〔『宋史』46〕
  10月27日 蒙・漢二万五千、高麗八千、梢工引海水手六千七百、戦艦九百余艘で日本を征せんとする(文永の役)。〔『高麗史』28〕

至元12(1275)年
   2月 9日 杜世忠・何文著・撒都魯丁を日本へ遣わす。〔『元史』8〕

至元13(1276)年
   1月18日 南宋の都の臨安(浙江杭州)において趙ケン、降る。〔『宋史』47〕
   5月 1日 趙ゼ[日・正](弟。端宗)福州で即位。〔『宋史』47〕

至元14(1277)年
   3月    緬(ミャンマー。パガン朝)軍と遇い、交戦する。〔『元史』210〕

至元15(1278)年
   4月15日 趙ゼ、崩御。年11。趙ヘイ[日・丙](弟)即位。〔『宋史』47〕

至元16(1279)年
   2月 6日 趙ヘイがガイ[厂・圭]山(広東新会南)で海に没する。年9。(南宋亡ぶ)。〔『宋史』47〕

至元17(1280)年
   2月    日本、杜世忠らを殺す。〔『元史』208〕
   5月    日本を征することを議する。〔『元史』208〕
   5月13日 緬をせめる。〔『元史』11〕
   8月    日本を征するための士卒を募る。〔『元史』208〕
  11月26日 授時暦を頒かつ。〔『元史』11〕

至元18(1281)年
   1月 4日 日本に抵(あ)たることを命じる。〔『元史』11〕
   5月 3日 舟師を以って日本を征せんとする。〔『高麗史』29〕
   8月 1日 (日本は閏7月1日か)風、舟を破る(弘安の役)。〔『元史』208〕

至元19(1282)年
   2月 4日 緬をせめる。〔『元史』12〕

至元20(1283)年
   1月11日 また日本を征せんと欲す。〔『元史』12〕
  10月    占城(チャンパ。ベトナム南部)をせめる(〜21年3月27日)。〔『元史』210〕
  11月    緬をせめる。〔『元史』210〕

至元21(1284)年
   1月24日 王積翁・如智を日本に遣わす。舟中に行くを願わざる者あり。共謀して王積翁を殺す。〔『元史』13〕
  10月17日 骨嵬(アイヌ?)をせめる。〔『元史』13〕
  12月    軍、安南に至る。〔『元史』13〕

至元22(1285)年
  10月15日 日本を征せんとする。〔『元史』13〕
  12月10日 チンキム薨去。年43。〔『元史』13〕

至元23(1286)年
   1月 7日 日本を征することを罷む。〔『元史』14〕
   1月24日 大挙して南伐する(安南をうつ)。〔『元史』14〕
  10月16日 骨嵬をせめる。〔『元史』14〕
  10月21日 緬をせめる。〔『元史』14〕

至元24(1287)年
   1月    安南を討つ。〔『元史』14〕
   4月    諸王ノヤンそむく。〔『元史』14〕
   6月    クビライ親征。ノヤンを誅す。〔『元史』14・162〕

至元25(1288)年
   4月    ノヤン余党カダン、遼東でそむく。〔『元史』15・162〕

至元28(1291)年
  10月    瑠求(琉球?)に使を往かせる。〔『元史』210〕

至元29(1292)年
         カダン死ぬ。〔『新元史』105〕 
   2月12日 爪哇(ジャワ。シンガサリ朝)をせめる(〜30年4月24日)。〔『元史』17〕
   3月29日 使、瑠求に登岸する。〔『元史』210〕

至元30(1293)年
   7月16日 交趾をせめる。〔『元史』17〕 

至元31(1294)年
   1月22日 クビライ崩御。年80。〔『元史』17〕
   4月14日 テムル(チンキム三男。オルジェイトゥ=カガン。成宗)即位。〔『元史18』〕
  11月27日 明年を元貞元年とする。〔『元史』18〕

元貞3・大徳元(1297)年
   2月27日 大徳と改元する。〔『元史』19〕
   9月    使を瑠求国に赴かせる。〔『元史210』〕

大徳2(1298)年
         日本に兵を用いんことを乞う者あり。〔『元史』208〕

大徳3(1299)年
         寧一山を日本に遣わす。〔『元史』208〕
   5月    緬をせめる。〔『元史』210〕

大徳7(1303)年
   7月    チャパル(カイドゥ嫡子)と講和する。〔『元史』21〕

大徳11(1307)年
   1月 8日 テムル崩御。年42。〔『元史』21〕
   5月21日 カイシャン(ダルマバラ(チンキム次男。順宗)長男。クルク=カガン。武宗)即位。〔『元史』22〕
  12月29日 大徳12年を至大元年とする。〔『元史』22〕

至大4(1311)年
   1月 8日 カイシャン崩御。年31。〔『元史』23〕
   3月18日 アユルバリバタ(カイシャン弟。ブヤントゥ=カガン。仁宗)即位。〔『元史』24〕
   9月14日 至大5年を皇慶元年とする。〔『元史』24〕

皇慶2(1313)年
  11月18日 科挙を行う。〔『元史』24〕

皇慶3・延祐元(1314)年
   1月22日 延祐と改元する。〔『元史』25〕

延祐7(1320)年
   1月21日 アユルバリバタ崩御。年36。〔『元史』26〕
   3月11日 シディバラ(アユルバリバタ嫡子。ゲゲン=カガン。英宗)即位。〔『元史』27〕
  12月 1日 明年を至治元年とする。〔『元史』27〕

至治3(1323)年
   8月 4日 シディバラ弑される。年21。〔『元史』28〕
   9月 4日 イェスンテムル(カマラ(チンキム長男。顕宗)長男。泰定帝)即位。〔『元史』29〕
  10月 6日 逆賊を誅す。〔『元史』29〕
  12月30日 明年を泰定元年とする。〔『元史』29〕

泰定5・致和元・天順元・天暦元(1328)年
   2月27日 致和と改元する。〔『元史』30〕
   7月10日 イェスンテムル崩御。年36。〔『元史』30〕
   9月    アスギバ(『元史』107ではアリギバ。イェスンテムル嫡子。天順帝)即位。天順と改元する。〔『元史』29・30〕
   9月13日 トゥクテムル(カイシャン次男。ジャヤガトゥ=カガン。文宗)即位。天暦と改元する。〔『元史』31〕
  10月13日 アスギバの終わる所は知られず。年9。〔『元史』31・『新元史』19・『モンゴル帝国史』3ー193〕

天暦2(1329)年
   1月28日 コシラ(カイシャン長男。クトゥクトゥ=カガン。明宗)即位。トゥクテムル退位。〔『元史』31〕
   4月16日 コシラ、トゥクテムルを皇太子(皇太弟)とする。〔『元史』31〕
   8月 6日 コシラ崩御。年30。〔『元史』31〕
   8月15日 トゥクテムル復位。〔『元史』33〕
   
天順3・至順元(1330)年
   5月 8日 至順と改元する。〔『元史』34〕

至順3(1332)年
   8月12日 トゥクテムル崩御。年29。〔『元史』36〕
  10月 4日 イリンジバル(コシラ次男。寧宗)即位。〔『元史』37〕
  11月26日 イリンジバル崩御。年7。〔『元史』37〕

至順4・元統元(1333)年
   6月 8日 トゴンテムル(コシラ長男。ウカガトゥ=カガン。恵宗。順帝)即位。〔『元史』38〕
  10月 8日 元統と改元する。〔『元史』38〕

元統3・至元元(1335)年
  11月23日 至元(後至元)と改元する。〔『元史』38〕

至正元(1341)年
   1月 1日 至正と改元する。〔『元史』40〕

至正4(1344)年
   3月    『遼史』成る。〔『遼史』附録「進『遼史』表」〕
  11月    『金史』成る。〔『金史』附録「進『金史』表」〕

至正5(1345)年
  10月21日 『宋史』成る。〔『宋史』附録「進『宋史』表」〕

至正8(1348)年
         台州(浙江臨海)の方国珍、海上で乱を為す。〔『元史』41〕

至正11(1351)年
   5月 3日 劉福通、頴州(安徽阜陽)で乱を為し、紅巾と号す。〔『元史』42〕
  10月    徐寿輝がキ[くさ・單・斤]州(湖北キ春)で皇帝位に即き、年号を治平とする。〔『元史』42〕

至正12(1352)年
   2月 1日 郭子興、濠州(安徽臨淮関)で兵を起こす。〔『明太祖実録』1〕

至正13(1353)年
   5月29日 張士誠、高郵(江蘇高郵)で誠王を称し、国号を周、年号を天祐とする。〔『元史』43〕

至正15(1355)年
   2月 2日 劉福通、韓林児を皇帝位に即かせ、亳州(河南商丘)で国号を宋、年号を龍鳳とする。〔『元史』44〕
   3月    郭子興、卒す。子の郭天叙、嗣ぐ。〔『明史』1〕
   9月    郭天叙、戦死する。部将、尽く朱元璋に帰す。〔『明史』1〕

至正17(1357)年
   8月    張士誠、大元に降る。〔『元史』45〕

至正20(1360)年
   5月 1日 陳友諒、徐寿輝を殺し、皇帝位に即き、国号を漢、年号を大儀とする。〔『元史』45〕

至正23(1363)年
   1月 1日 明玉珍、重慶(四川重慶)で皇帝位に即き、国号を夏、年号を天統とする。〔『元史』46〕
   2月    張士誠、劉福通を殺す。〔『明史』1〕
   8月26日 陳友諒、戦死。子の陳理、嗣ぐ。徳寿と改元する。〔『明史』1・123〕
   9月    張士誠、呉王と自称する。〔『元史』46〕

至正24(1364)年
   1月 1日 朱元璋も呉王の位に即く。〔『明史』1〕
   2月19日 陳理、朱元璋に降る。〔『明太祖実録』14〕

至正26(1366)年
   2月    明玉珍、病死。子の明昇、嗣ぐ。開煕と改元する。〔『明史』1・123〕

至正27(1367)年
   9月 8日 朱元璋、張士誠を執らえる。〔『明史』1〕
  12月 5日 方国珍、朱元璋に降る。〔『明史』1〕

至正28(明:洪武元年・1368)年
   1月 4日 朱元璋、皇帝位に即き(太祖。洪武帝)、国号を明、年号を洪武とする。〔『明史』2〕
  閏7月28日 トゴンテムル、大都から上都へ奔る。〔『元史』47〕
   8月 2日 明兵、大都に入る。〔『元史』47〕

至正29(洪武2・1369)年
   6月12日 トゴンテムル、応昌(上都北)にうつる。〔『新元史』26〕
   6月16日 明、上都を陥れる。〔『新元史』26〕
   8月11日 『元史』成る。〔『元史』「進『元史』表」〕

至正30(洪武3・1370)年
   4月28日 トゴンテムル、応昌で崩御。年51。〔『元史』47〕
         アユルシリダラ(トゴンテムル長男。ビリクトゥ=カガン。昭宗)即位。〔『新元史』26〕
   5月16日 明、応昌を陥れ、マイダリバラ(アユルシリダラの子)をとらえる。
         アユルシリダラ、カラコルムに逃れる。〔『元史』47・『明史』2〕
   7月 1日 続修『元史』成る。〔『元史』「宋濂 目録後記」〕

宣光元(洪武4・1371)年
         宣光と改元する。〔『新元史』26〕
   6月22日 明、夏を滅ぼす。〔『明史』2〕

宣光5(洪武8・1375)年
   5月    アユルシリダラ、金山(アルタイ山脈?)にうつる。〔『新元史』26〕

宣光8(洪武11・1378)年
   4月    アユルシリダラ崩御。トグステムル(アユルシリダラ弟。ウスカル=カガン)即位。〔『新元史』26〕

天元元(洪武12・1379)年
         天元と改元する?〔『新元史』26〕

天元10(洪武21・1388)年
   4月12日 明、地保奴(トグステムル次男)をとらえる。〔『明史』3〕
   7月 6日 明、地保奴を琉球に安置(追放)する。〔『明史』3〕

天元11(洪武22・1389)年
         トグステムルと天保奴(トグステムル長男)弑される。
         この後、五人みな弑され、帝号も知られず。クイリキなる者あって、国号を去り、韃靼を称す。〔『明史』3・327〕

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