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嘉永三年本『謙信流軍書』
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 『謙信流軍書』は上杉流(越後流)軍学の兵法書です。ここに掲載したものは、嘉永3(1850)年の写本です。

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■「謙信流」について

 謙信流兵法とは、越後流兵法の別称である。
 「越後流兵法」または「謙信流兵法」というのは、上杉謙信を流祖とあおぐ兵法の総称であって、固有名称的な流派名ではない。具体的には宇佐美流(宇佐美神徳流)・要門流などという諸流派全体をさす言葉である。
 宇佐美流は、はじめ上杉顕定に仕え、後に上杉謙信の軍師となった宇佐美定行(良勝・越後国柏崎琵琶島城主)を事実上の流祖としているグループである。宇佐美定行(良勝)については、作られた軍師であるとして業績はもちろん、その(軍師としての)存在すら否定する研究者も多いようであるが、系図によれば、この系統は定行の子良興(民部少輔)、孫の良賢(造酒正)とつづき、その後も定祐・祐冬・正矩・正純と受け継がれて、徳川御三家の1つである紀伊藩のお抱え軍師として長い間にわたって重きをなした。この中の、宇佐美良賢という人物は、はじめは尾張藩に仕え、のち江戸にでて兵学を講義した。寛永8年に兵学の教養を買われて水戸藩に仕えることになり、さらに紀伊藩に招かれて、以後この系統が紀伊藩士に兵学を講じることになったという。彼の系統の兵学を特に、尾張では神徳流、江戸では謙信流、紀伊では宇佐美流と呼んでいた。これは、加治景英(蒲原郡加治城主)を事実上の流祖とする要門流の系統のうち、景英の孫の景明から伝授された澤崎景尚が、江戸を中心に活躍するにおよび、同じ越後流の両流を区別するため、紀州系である宇佐美流の別称として「謙信流」という言葉が、主に江戸で使われていたということらしい。

  【参考文献】
    有馬成甫氏監修・石岡久夫氏編『越後流兵法 〜謙信流兵法』新人物往来社・1967年

■『謙信流軍書』について

 本ホームページの、「嘉永3年写本『謙信流軍書』」(以下、『嘉永3年本』)は、縦22.7cm×横15.9cmの和綴じの1冊本で、内容は、「前書部」「兵賦」「陣法」「戦法」「貝之事」の5項目からなり、「前書部」は重複して書かれている部分が見られる。やや傷みがすすんでいるが、現時点での判読に支障は無い。文字は漢字カタカナ混じり文で、ほとんど文字をくずさずに写している。また、表紙の裏に反古紙をあてており、「紙背文書」といえるものがある。奥付に、「貴純」なる人物が嘉永三(1850)年三月下七日(27日)に写した(正確には写し終えた日付)と記されている。
 さて、『国書総目録』(岩波書店)で『謙信流軍書』を引いてみると、石岡久夫氏が所蔵する写本4冊(以下、『石岡氏所蔵本』)があるとされている。そこで、「越後流兵法伝書」(有馬成甫氏監修・石岡久夫氏編『越後流兵法 〜謙信流兵法』新人物往来社・1967年、所収、以下『越後流兵法』)をみると、『石岡氏所蔵本』は寛永10年の写本22巻4冊で、著者が畠山義真(よしざね)という人物であることが分かった。
 では、この畠山義真という人物、いったい何者であろうか。「越後流兵法系譜」(『越後流兵法』所収)によれば、「下総守、上杉義春の子」とあるだけで、生没年も分からない。上杉義春は、能登国守畠山修理大夫の弟にあたる人物で「民部大輔」を名のっていた。上杉景勝の姉婿でもある。上杉義春・畠山義真父子は、ともに宇佐美流の兵法家であり、系譜上では、上杉義春は上杉謙信より直接に兵法を伝授されたことになっている。なお、前述の宇佐美良賢の長子に良永(のち大関勝祐に改名)という人物がいて、彼は父の良賢の他に畠山義里(式部少輔)にも師事している。この義里は、畠山義真の子にあたる。
 ところで、当ホームページに掲載している『嘉永3年本』には、分からないことが多い。まず、著者名が記されていない。前述したとおり、「貴純」という人物が、写本を作成したことは記されているが、この「貴純」という人物が誰なのかさっぱり分からない。しかし、『嘉永3年本』の表紙の紙背に、江戸幕府が天保年間に出した定書(さだめがき)の写しと、武家のものと思われる「日記」または「覚書」の断片があったことから、「貴純」なる人物は武士だと考えられるが、それも推測の域をでない。それに『石岡氏所蔵本』は全22巻4冊本だが、『嘉永3年本』は1冊本である。前書部を除けば「兵賦」「陣法」「戦法」「貝之事」の4項目となるので、項目1つが『石岡氏所蔵本』の1冊に相当する可能性も考えたが、それではあまりにも1冊の分量が少なすぎてしまう。『石岡氏所蔵本』を閲覧することができなかったので、『嘉永3年本』が『石岡氏所蔵本』の抄本なのか、複数冊あるもののうちの一冊なのか、それとも書名を同じくする別本なのか、まったく分からないのが現状である。
 ただ『嘉永3年本』が、もし『石岡氏所蔵本』と別本ならば、『謙信流軍書』という書名から「江戸の兵法学者によって書かれたもの」という可能性を考えることができるだろう。なぜなら、前述した通り「謙信流」という名称は、もっぱら江戸で使用された言葉だったと考えられるからである。


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